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みんなのパワハラ事例

パワハラ事例を紹介

無理な仕事量を強要させらられました

業務妨害

市場で仕事をしている時に、配達とピッキング作業と伝票書きと、仕入れ作業と片付け作業の全ての業務を、暇があればほとんど仕事を回されていました。

市場の中とあって、仕事が始まるのは早いのですが、他の人が朝4時にくることが多い中、私の場合は毎日朝2時から3時の間に出社していました。

仕事の量が多くて、配達が30件ほど持たされて遠距離の配達で、時間が遅いと終わらないような仕事の量でした。

他の人はというと、15件もあれば良い方で、距離も自分よりもずっと少なめでした。

社長からは、たまに気休めの言葉がかけられますが、業務には一切ノータッチですので、その部署の部長のイジメによって毎日、死にそうになっていました。

職場の雰囲気は部長のおかげで、凄い暗い雰囲気になっていて、部長が登場するとお話をしなくなるというほどの嫌われ方でした。

その部長に嫌われていたのが自分だったようで、仕事が少ないとみるとすぐに次の仕事や雑用を用意してくれました。

休む時間もなく、朝3時から夕刻の6時ころまで、止まることなく働いていましたね。

上司に逆らうことが出来ず、業務を無視するわけにも行かないので、言われた仕事はこなしていましたね。

結局は仕事のオーバーで、身体の方が潰れてしまい、会社を辞めることになりました。

今は、その会社には、部長は辞めて会社は少しはマシになったみたいですが、あの時の辛かった日々は決して忘れることはないでしょう。

良い経験をさせてもらったと、今ならそう言えると思います。

居酒屋に勤務していた時仕事が出来ない度に怒鳴られました

怒声・罵声

私が居酒屋に勤務していた時の体験談です。居酒屋の仕事は大変です。色々と覚えるべきことがあります。どこに何があるかを把握することでさえ大変です。しかし、経営者の方は私に、私が何がどこにあるのかを把握していないのかを知っていながらそれを持ってくるように言います。しかし私にはできません。するとそんなこともできないのかと怒鳴ります。その言い方は私を傷つける言い方です。知らないことができないのは当たりまえです。仕事を始めたばかりなら尚更です。しかし、容赦なく私に罵声を浴びせました。私は怯んでしまい、何も言えなくなってしまいました。

パワハラは執拗であり、文字の書き方から立ち振る舞いに至るまでありとあらゆることを指摘されました。いわゆる揚げ足を取るというやり方ですね。何がそんなに気に入らないのでしょうか。そのように他人に当たっても自分のイライラが解消されるわけではありません。自分がストレスを解消するのが下手なだけなのに、自分より立場の弱い人に当たるのです。人間のやる所業でしょうか。私はそうは思いません。同じ人間だとは思えません。

そのような経験があり、私は他人に強く当たってはいけないなと思いました。どうしてもストレスが溜まったときでも我慢するべきです。仕事をするときにストレスが溜まるのは仕方がないことです。しかし、それは無理して沢山のお金を稼ごうとしたり他人と競争をしようとするからです。欲を出しすぎないで普通に仕事をするならばそこまでストレスが溜まるということは無いのではないでしょうか。

流石に居酒屋の仕事を継続するのが嫌になったので、私は仕事を辞めることにしました。そして給料を取りに行った時に、まだ怒鳴られました。今度は挨拶ができていなかったという理由です。でも、相手は仕事に集中していて私がやってきたのに気がつかなかっただけです。本当に自己中心的な人だと思いました。もう二度と関わりたくはないですね。

女だからという理由でリーダーにできないと言われやる気を失いました

怒声・罵声

前職ではパワハラによるストレスで体調を崩し、仕事を辞めることとなりました。

もともと社風がパワハラ系だったので、バカにできそうな人はとことんバカにして、それを可愛がっていると言っているような風潮はありました。

ある日突然の異動を命じられ、異動した先は新規立ち上げ部署で他部署からは孤立した部屋を用意されていました。

その日からの上司のパワハラは酷いものでした。

まず、事務員で一番下っぱだから毎朝机を雑巾がけすることを命じられました。

同時期に異動してきた同世代の男の子もいたのですが、正直仕事の出来はあまりよくありませんでした。

しかし、私と一緒にひとくくりにして仕事の出来が悪いと毎朝朝礼で名指しされて吊るし上げ。

挙げ句の果てにはこれ以上仕事できなかったら分かってるなと脅しのクビ宣言。

これで男の子は辞めていきました。

その後、私はだいぶ仕事ができるようになってきたものの、その他の人は皆男性ばかりだったため、上司の標的がそちらに移っていきました。

誰かがミスをすれば1日中怒鳴り散らす。

自分の歩んできた道は正しい、お前らの考えは間違っている。

毎日お酒を飲みに誘う。

上司のやりたい放題でした。

そして、たまたまある日の朝礼で私が辞めるきっかけとなったことを言われました。

「お前は仕事ができてリーダーができるくらいだ。しかし、女だからリーダーにはできない」と。

私はリーダーになりたかったわけではありません。

そのために仕事をしていたわけではないですから。

しかし、女だからという理由でリーダーにできないと言われた時は、流石にやる気を失いました。

ストレスもマックス、精神的にもボロボロ。

そして、自殺願望を毎月考えてしまうまで体調を崩してしまい、ついに辞めることにしました。

辞めてみて思ったことは、かなりマインドコントロールされていたなと思いました。

現会社ではそのようなことはなく、ゆったりとした日々を送っています。

ストレスを感じないって素晴らしいなと実感しました。

私と同じような状況の人がいたら、すぐに抜け出して違う世界に行って欲しいなと思います。

機嫌が悪いと怒鳴って机に蹴り暴れる

怒声・罵声

うちの部長は機嫌が悪いときは部下にあたり、怒鳴り散らして暴れます。

部長の指示で会議用の資料を作成したときの話です。

本来なら職位的な内容から部長が作るべき資料なのですが、

Excelをまともに扱えないので私が必要な資料を作成して部長に提出し、

内容確認が終わってOKを頂きました。

で、部長はそれを持って会議に出席です。

本人はすごくよい資料ができたと喜んで会議に臨んだようですが、会議終了直後、

会議室のドアを乱暴に開け怒鳴ってました。

「誰がこんな資料をつくれと言った!」

何を言ってるのか意味わからん、そういう感じでしたね。

部長が怒鳴る理由はとても簡単なものでした。

会議でご自慢の資料に難癖付けられたから。

また、物忘れが激しい部長は指示した事を五分で忘れます。

「指示していない。勝手に仕事をするな」

そう言うことが多いので、指示の時は必ず部長の目の前でメモを取り、

ソレを見せながら確認します。

ですが、メモのとおり作成して提出しても後出しや変更が多く、

そのたびに「指示したものができていない」と言います。

当然、メモがあるので見せますが、メモの上から書き足して

「最初からこう指示しただろ」というやりとりも日常風景です。

明確な指示ができない人なので、方向性はいつも迷走しています。

他にも部署の仕事を把握しているつもりになっていますが、

せいぜい三割くらいの内容で、スケジュールすら把握していません。

そのため、思いつき業務を作ります、それも大量に……。

繁盛期ですでに飽和している状態でも、新しいデータベースの作成などを指示し、

数日内に形にしろとか無理を言います。

作業工程を一般人が見てもわかるように書き上げて説明しますが、

自分の目測が正しくないことを認めたがらず、

とりあえず怒鳴って机に蹴りを入れつつ押しつけてきます。

当然、サービス残業や持ち帰り残業になります。

何でもできる人ではないのに、無駄な見栄ばかり張り、

都合が悪ければ怒鳴り散らし、机などに蹴りを入れます。

部下からすると非常に面倒くさい人です。

ちなみに、部長のパワハラは社長公認です。

上司が決裁しないため、仕事が滞り何人もの社員がノイローゼ寸前に

業務妨害

異動した部署の所長が、とんでもないパワハラ所長でした。

年齢は59歳で、以前国立大学の助教授をしていたらしいのですが、教授のイス取りゲームに負けて、私の会社まで流れてきた男でした。

会社には社是なり社風があり、社員の気質は会社で長く勤めることにより、少しずつ吸収し、意識をしなくともその社風が備わるものです。

ところが新所長となった男は、その社風を嫌う男でした。いきなり、こののんびりした社風は気に入らないので、徹底的におまえらの甘えた性根を叩き直すと息巻いていました。

当時私は係長という中間管理職だったので、管理職員会議には参加できなかったのですが、私の上司の課長は、毎日のようにぼやいていました。今度の新所長には、何を言っても、何を諌めても、話を聞いてくれない。こんなことが続けば、全員ノイローゼになってしまうといっていました。

決裁のためのハンコを押さないというのが、決定的なパワハラでした。根掘り葉掘り、細かいことを言い正し、ハンコを押さないので、決裁が遅れ、それに伴い、決済や納期が遅れ、どんどん仕事が後へ後へ延びていく事態が、目につき始めました。その火消し役は、中間管理職の私で、得意先には平身低頭で謝るしかなく、課長と一緒にため息ばかりついていました。

こんな状態が続き、仕事量がどんどん増え、肉体的にも精神的にも疲れが溜まっていきました。そんなとき、どうしても朝7時半には、勤務して仕上げなければならない急ぎの仕事がありました。自分の課に入ると、私の席にはあのパワハラ所長が座っていました。あいさつでもしないと仕方がないと思い、「所長、おはようございます。」と努めて冷静に言うと、帰ってきた言葉は、「おまえの席はもうない。」の一言でした。「私の席はここですが。」というと、「おまえは首だ。」の一言でした。「私が何かしましたか?」と尋ねると、「しょうがない、居させてやる。」といって、所長室に戻っていきました。

たとえ冗談にしろ、やっていい行動と悪い行動があるはずです。座る席までないということは、冗談にも言えるものではありません。これでは、私は完全に干されたと同じです。

私は本当に頭にきました。このまま泣き寝入りするほど、私の心は弱ってはいませんでした。ちょうど内部通告者保護法なるものができて、社長へ直接意見や相談ができる意見箱というものができたので、早速訴えてやりました。

しばらくすると、パワハラ所長は、所内の課長以上の職員を全員集めて、「俺の悪口を書いた怪文書が社長に届いたそうだ。犯人はここにいるはずだ。名乗り出ろ。」と凄んだそうです。幸いにして私までは疑いは回ってはきませんでした。しかし、社風がのんびりで和を貴しとする中で、内部での犯人捜しなど前代未聞であり、管理職員は相当のダメージを受けたようでした。そして、この事件をきっかけに所内で4人の管理職員が辞めていきました。

本当に腐ったごみのような、女々しい権限だけをひけらかす男です。こんな男は、人間的にまったく尊敬はできません。早く、消えてもらうことだけを一日千秋の思いで待っています。

入院中お見舞いと言いながらノルマ達成のために詰められました

怒声・罵声

私が以前金融機関に努めていた時のことです。

毎月ノルマがあり、それをクリアするのに必死でした。

例えば、新発商品6000万、常時商品数種 1000万~3000万といったぐあいで、合計すると毎月2億ぐらいのノルマを抱えていました。

その当時、私はまだ入社2年目で、先輩から引き継いだお客様と1年目に自分で開拓した顧客のみの中で、それだけのノルマを達成するのは本当に毎月

至難の業でした。

お金持ちのお客様には、ご迷惑ながら毎月のようにお金をお預けいただき、ご無理なこともお願いしていました。

いつか嫌われるのではないかと、ヒヤヒヤしながらも、切羽詰るとお願いにあがるという繰り返しでした。

もちろん、新規開拓も努力しておりましたが、人間関係ができるまでには日数も必要でした。

私の上司は、課長になり立てで、とにかく実績を上げて上に認めてもらいたいという思いに満ち満ちた人でした。

ですから、毎日の仕事終わりに提出する本日の成果をチェックし、なぜ今日はこれだけしかできなかったのだ、あなたのやり方がいけないんでしょう、

明日はどうするつもりだ、今月のノルマは達成できるの?と矢継ぎ早に問いただされていました。

私の同期入社は、他に3人いたのですが、この3人は仕事中にボーイフレンドと遊びに行くような人達でした。

もちろん、ノルマなど達成できるはずがありません。

地方の支店でしたので、その地方では当たり前の、3人とも縁故入社でしたが、私は人事から30名受けた中で入社筆記試験がトップだったので文句なしの内定だったと言われ、他の3人とは違うのだから頑張らねばと自覚していました。

だから必死で頑張っていました。

しかし、その3人がいくらノルマをこなせなくても、上司は怒らなかったのです。

こちらから見れば仲良しといった感じで、鼻の下を伸ばして楽しそうでした。

そんな時、事件が起こったのです。

そのうちの一人が妊娠してしまい、親に内緒で堕胎できない時期にまで来てしまいました。

異変を感じた親がやっと気づき、1週間の入院をして処置することになり、その旨課長から報告されました。

そして、彼女のその月のノルマは、あなた達同期が責任持ってカバーするようにと言われました。

自分が仕事中にボーイフレンドと遊び回った結果の尻拭いを、なぜ自分のことも必死な私に押し付けるのか納得できず、それは引き受け兼ねると言いました。

冷たいなと言われましたが、仕事仲間は仲良し集団ではないといつも課長が言っているセリフとは思えませんでした。

やれるだけは頑張りましたが、結果は無理でした。

その後、私は疲労から腎盂炎になり3週間入院しましたが、その時にも一日に最低3回は病院に電話をされ、あなたの今月のノルマだけど、俺が変わりに電話してるから見込み客を言いなさいと言われ続けました。病院にもお見舞いと言いながら、顧客名簿持参でやってきてノルマ達成のために詰められました。

当時、携帯などなく、電話の場所に行くだけで熱がぶり返す中、医師にも一体どういう会社なんだと言われ、立場がなかったです。

一部上場の誰でも知ってる会社でしたが、寿退社する時には、やっとこの上司から開放される嬉しさでいっぱいでした。

自分の人生において、この上司にほど言葉で責められ追い込まれた人はいません。

チヤホヤされたい上司をチヤホヤできずに業務妨害や異動命令を受けて辞職

業務妨害

私の直属の上司は常に自分がみんなの輪の中心にいてチヤホヤされないと面白くない人です。

部下が良い功績をあげたり自分より注目を集めるようなことをしたりするとすぐにヘソを曲げます。

そして上司の承認が必要な書類などをお願いすると難癖を付けて承認しなかったり、ひどい時は一切無視されます。

一度何かのプロジェクトの打ち上げの飲み会で私と同僚が他のスタッフや上司への挨拶回りが忙しくて、その上司に手酌に行かなかったところ非常に立腹されて翌日から数週間完全に無視されました。そんなことも知らずに私と同僚が普段通りに仕事を進め、打ち合わせなどをしていると「少し無駄話が過ぎるぞ。」とみんなの前で注意をされたり、仕事の進行状況にの確認や伺いを立てると「それはもう説明した。」ととりつく島もなかったりひどい状況でした。お陰で私と同僚は仕事が全く進まず、更に上の上司から「報告書が上がってない。」などと叱責されました。挙句直属の上司が「二人には何度も注意したのですが全く改善が見られません。」などと上の上司に報告したため、私は後日管理職から個別に呼び出されて「上司の指示に従えないのなら会社は成立しないから辞めてもらうしかないよ。」と言われ私は頭が真っ白になりました。そんな時私の面倒を良く見てくれていた先輩から「あの人はお酒の席でも仕事でもしっかりとよいしょしておかないと自分の持っている力を使って色々やってくるから注意した方が良いよ。」と助言されました。

徐々に上司の怒りはおさまっていきましたが、その後も仕事のことで意見を求められ上司と少しでも異なるような見解を述べると不機嫌になり二言目には「何も知らないのに生意気だ。口のきき方が分かっていない。」と言われました。上司の機嫌が悪いと周囲も気を遣って私にきつく当たったり無視してきました。それでも全て上司の言いなりになるのは嫌なので自分のスタイルを通していました。

入社して3年目が終わる時に大きなプロジェクトを任されました。その上司の元で働いた1年目の終わりのことです。プロジェクトは困難なことも多くありましたが徐々に形になり良いものができ始めていました。あと半年ほどでこのプロジェクトが完成し会社の為にも大きく貢献できると思っていた時に、この上司に突然呼ばれて他の部署への異動を命じられました。普通はプロジェクトの進行中に責任者が変わることはあり得ないことです。よく理解できずに理由を尋ねると「ほらそういう風に君は何でも疑問を持って意見したり反抗したりするばかりで、はいと素直に言えないだろう。だからチームワークが重要視されるこの部署では少し難しいと感じてね。個人プレーでもやっていける部署の方が向いていると思ったからだよ。」と言われて自分の経験も今までの資格も全く関係のない部署への異動となったのです。正直プロジェクトへの未練も大きく関わってくれた方へも申し訳ない気持ちでいっぱいでした。この上司が会社にいる以上自分には道は開けないと思い異動を命じられた翌日に辞表を提出して会社を辞めました。たった一人の上司の気持ちで自分の人生が大きく変わってしまいました。

業績不振でパワハラを受け配置転換されてしまいました

パワハラ

私は銀行に勤めています。仕事は得意様係、つまり外回りの仕事です。朝から夕方まで自転車に乗って得意先を回ります。今年で外回りの仕事は3年しました。毎日毎日、お客さんからは叱られ、銀行へ帰れば上司から叱責されています。外回りの同僚は6人いるのですが、6人中成績は毎期毎期ビリかブピーです。  

大学を出て銀行に入って、最初の2年間は営業店で内勤事務を一通り覚えました。内勤事務のローテーションは3年間組まれているのですが、外回りの人員が足らなくなり私が配置換えになりました。できるかなととても不安を持ちながらのスタートでした。担当した地区は店周です。店周とは営業店の周り半径300メートルくらいの地区の担当です。いうなれば一番いい地区の管理を任されたわけです。自転車でも徒歩でも行ける距離です。商店街あり、町工場あり、住宅街あり、官公庁などがある雑居地区です。  

最初は直属の上司の上手な指導もあり、自分なりにもスムーズに新しい仕事に入れたと思っていました。成績もいつも真ん中くらいにいました。得意様係として何とかやっていけそうだと自分でも思っていたのでした。銀行には転勤がつきものです。頼っていた上司が転勤してしまい、新しい上司が転勤してきました。その上司はどんなタイプかという噂も同時に聞こえてきました。  

早速上司から毎日徹底して数字を詰められました。運悪く預金の解約が続き、上司に睨まれてしまいました。出る物は仕方がないから他から預金を集めてこいと毎日責め立てられました。毎日毎日、いい結果が出ませんから帰る時間も9時、10時になることが多くなりました。家につくと11時を回る日が多くなりました。しかし成績がついてきません。バタバタしているだけけでした。もがきながら1年が経過しました。担当している地区がいいと同僚より大きな数字を割り当てられました。できない数字を毎月毎月割り当てられました。これはパワハラだ゛と内心思いながら、辛抱しました。   

結局私は見込みがない、やる気がない男との烙印を押されました。3年目にお得意様係の業務から外され、内勤の貸付係に配置換えされました。上司は変えられないとの悔しさをしっかり味わいました。しかし今も生計を立てなければならないので銀行で頑張っています。

少しずつ業務から追いやられ詰問攻めの個人攻撃を受けました

業務妨害

就業当時は我慢していましたが、今から考えるとけっこう色々なパワハラをされていました。ある特定の人物についての話です。

最初は職責が同格だったので、「自分のことを気に入らないのかな」「愛想が悪い人なのかな」と考えるようにしていました。

まずは「私に挨拶をしない」というところから始まりました。他の人がオフィスに入ってくるとちゃんと「おはようございます」とあいさつをするのですが、私には挨拶をしないか、しても下を向いたままぼそっと言うくらい。

諸般の事情があって、その人が私の上司になることになりました。それからはもう個人攻撃の嵐でした。

私だけが仕事をしていない、言ったことをしない、などと公衆の面前で罵倒するようになりました。その人は別の業界から来た人なので、この業界の常識も仁義も知らなかったのですが、「常識なんか関係ない。自分の命令したことをやれ」と業界の常識はずれのことを押し付けてくるので大変困りました。

やがて私の部門の仕事に事細かに口を出してくるようになり、私を少しずつ業務から追いやるようになりました。何の公式命令もなく、私の担当していた主力企業を徐々に他の人に回すようになりました。

また、私にだけ業務目標と結果の提出を求め、会議と称した詰問攻めの個人攻撃を始め、自分でやるのが飽きてくると他の人にその詰問と称した会議を丸投げし、遠隔操作でのパワハラを継続していました。

かばってくれる人もいたのですが、攻撃は止まらず、わたくしは自律神経失調症になってしまいます。

そしてその後、20数年やってきた営業業務から外されることになります。外されたのは百歩譲ってよしとしますが、別部門に飛ばしておいてしばらくすると、マンパワーが足りなくなったからといってまた半分くらい営業をしろというのです。人を馬鹿にするのにも程があります。しかしそこはサラリーマンなので文句も言わず我慢しました。

やがて、どうしても私のことが気に入らないのか、退職勧告を受けました。あまりにひとを馬鹿にしている上司と会社にもう何の未練もなく、退職することにしました。

その3か月後、その上司も退職勧告を受けたそうです。人にしたことは自分に必ず帰ってくるんだなあと思い、ひとに嫌なことはするまいと固く誓う出来事でありました。

過剰な量の仕事を押し付ける一方で、自分の業務をさせず時間外に仕事をさせる

業務妨害

新人のあなたが全部電話をとるのよ。というような指導を受けました。

確かに、新人であれば、どんな業界のどんな職種に就いても新人は電話を

率先して取るべきだと私も思います。

電話を率先して取るのは、新人の仕事ともいえる部分なので、間違っては

いないんですが、限度を超えていたので立場を利用したているパワハラでした。

全部の電話を私が取るので、自分の仕事をする時間は当然減ります。

すると帰る時間は遅くなります。

それはそれで野次を飛ばされます。

日中の業務の電話は全て私が取り、自分はたばこを吸う、井戸端会議をしたり

社内の人間たちの悪口を言うために持ち場を離れるわ、席を離れるわで

言いたい放題たばこをふかしながら、ひどいときはほぼ一日中休憩状態、

普通に真面目に仕事をしている新人の私が怒られて、しまいには、

残業している私に、「独身おばさんですね。」なんていう野次まで飛ばされていました。

独身ということに関しては、けっこうそういったセクハラ嫌がらせ発言を

する会社はよく聞きますが、どれか一つだけならまだしも全てありがちな

パワハラを全て受けたので、すぐに辞めました。

いくら正社員で就職できたとはいっても、別に会社は一つだけではないと

思ったからです。そういう相性の悪い会社に勤めて体や精神に異常をきたして

健康を損なうよりは、さっさと辞めた方が正解だと思ったからです。

かなり異常な事態だと思います。かかってきた電話を必ず全て私が取るということは、

普通に考えてできないことだからです。体は一つしかないので、普通にできません。

辞めるときは、一生そういうことをやっててくださいって感じでした。

けっこう噂になっているのか、その会社の私の仕事のポジションは、全く別の

関係ない部署の人から聞いた話では、常に早いうちに仕事を辞めるそうですし、

なかなか私の後任の後の応募もきませんでした。

しかしながら、そんな会社の都合に私は合わせていられないので、次の後任者が

決まっていない状態にもかかわらず、無理やりにさっさと辞めました。

次の仕事が決まっていたので、次の仕事に影響したくなかったので、自分の

都合をごり押ししました。

電話を全部取り、日常業務が日中にほとんどできず、その他雑務も全部一人で

やって、そこまでされて居る必要はないので、通常の業務を明らかに逸脱しているので

義理や常識を守る必要は一切ないと思ったからです。

日中に通常の自分の仕事ができないというのは、ある意味、業務から外されている

パワハラでもありますよね。

そもそも、明らかに何らかの労働関連の法規に違反していると思いました。

ということで一切相手にせずさっさと辞めました。

そういう職場はここが最初で最後です。やはり普通じゃなかったんだと改めて感じました。

逃げるが勝ちということもあるもんだなと心底感じた事件でした。

無理を押し付け最後は無視で追い出し

業務妨害

これは忘れもしない自分の黒歴史の一つです。

社会人になって20と数年、初めてケンカして辞める羽目になったできごとです。

それまで、どんなにあたまにきても表向きは円満退社にするようにしてきました。

しかしそこの管理者の態度は『人としてどうよ?」というあまりにも非道なものでした。

それがまさか介護事業所であろうとこにいるとはです。その人がおかしいと思ったのは、初出勤の日からでした。なんだかわからないが不機嫌で、面接の時にできないことは教えるようなことを言っていたのにできないと所かまわずおおごえをあげて怒鳴るという人だったのです。例えそれが利用者さんの前であっても。しかも、その怒る理由が理不尽極まりないのです。ある日、その人が会社の仕事で半日空けることになり、任されるということがありました。

まだ入って間もなく、ろくに仕事を教えてもらってないのにです。それでもなんとか留守にやるべきことをきちんとやっておいたのでした。

そしてその人は帰ってきたのですが、普通なら「留守番お疲れさん」の一言もあるのが当たり前だと思うのです。しかし違っていました。玄関を入るなり「あれがダメだ,これがダメだ。なにやってたんだ」とヒステリックに怒鳴り散らされたからたまりません。

しかもその時いた利用者さんの前で。なんで怒鳴られるのか訳がわかりませんでした。そんなことが何回も続き、あまりの理不尽さに初めて反論したことがありました。そしたら「私は見込みがないと思ったら無視する」なんて言うではありませんか。

とても人の上に立つ人間の言うことではありません。また自分の指示や行動のミスで私が失敗すると烈火のごとく怒鳴り散らすのです。利用者さんはその光景にあきれてるというか、ドン引きしてるというのに。それでいて自分は信頼されてると平然というから、その人間性は理解できません。

そんな軋轢が何回か続いたある日、施設の周りを何時までにキレイに掃除しろという仕事を言ってきたのです。言われた時間ではとうてい終わるものではありません。仕方なくキレイに掃除して戻ると「いつまでどこに行ってたんだ」なんて言うではありませんか。

わけわかりません。私は指示されたとおりの言葉を返したら、さらに激怒し怒鳴り散らしたあげく、まったく聞く耳を持たなくなったのです。

もうその時にはいい加減頭にきたので「辞めさせてもらいます」と言ったんですが、無視。

なんど言っても返事もしないので「辞めますから」と言って次の日から行くのを辞めました。こんな人間が介護をしてると思うとゾッとします。

完全な「圧迫」です。どおりでバイトが居着かなかったはずです。

みんなこうして追い出していたのでしょう。

自己最短在籍期間記録という思い出したくもないキャリアの傷となってしまいましたが、まだ試用期間中のバイトの身分でよかったと今になってつくづく思いました。

仕事の量が半端じゃないほどありました

業務妨害

市場で仕事をしている時に、配達とピッキング作業と伝票書きと、仕入れ作業と片付け作業の全ての業務を、暇があればほとんど仕事を回されていました。

市場の中とあって、仕事が始まるのは早いのですが、他の人が朝4時にくることが多い中、私の場合は毎日朝2時から3時の間に出社していました。

仕事の量が多くて、配達が30件ほど持たされて遠距離の配達で、出勤の時間が遅いと終わらないような仕事の量でした。

他の人はというと、15件もあれば良い方で、距離も自分よりもずっと少なめでした。

会社には若い人が少なくて、おじちゃんやおじいちゃんかと言う人もいて、その人の仕事が回ってきているような、そんな感覚だったようにも思います。

社長からは、たまに気休めの言葉がかけられますが、業務には一切ノータッチですので、その部署の部長のイジメによって毎日、死にそうになっていました。

職場の雰囲気は部長のおかげで、凄い暗い雰囲気になっていて、部長が登場するとお話をしなくなるというほどの嫌われ方でした。

その部長に嫌われていたのが自分だったようで、仕事が少ないとみるとすぐに次の仕事や雑用を用意してくれました。

休む時間もなく、朝3時から夕刻の6時ころまで、止まることなく働いていましたね。

上司に逆らうことが出来ず、業務を無視するわけにも行かないので、言われた仕事はこなしていましたね。

一度思い切って、業務の減少を促してみましたが、受け入れてもらえずに余計にしんどい仕事内容になっていきました。

結局は仕事のオーバーで、身体の方が潰れてしまい、会社を辞めることになりました。

「お前は若いし、元気だから」という理由で仕事の量を増やされていたことで、身体を壊したのは本当に大きな痛手でしたね。

今は、その会社には、部長は辞めて会社は少しはマシになったみたいですが、あの時の辛かった日々は決して忘れることはないでしょう。

そしてあの小さな個人商店のような会社には、良い経験をさせてもらったと、今ならそう言えると思います。

精神攻撃を仕掛け、正常な判断力を奪う上司

怒声・罵声

会社からの辞令で、子会社から本社のとある一部門へ異動になったときの話です。異動先の上司、部長が典型的なパワハラ野郎でした。

異動早々に開催された定例飲み会がことの発端であったと記憶しています。

私はお酒が飲めない(好き嫌いしているわけではなく、アレルギー)のですが、飲めない理由を説明してノンアルコールビールで対応しているにも関わらず、飲酒の強要がしつこくされました。

しつこいだけなら、まだ我慢できたかもしれませんが、「酒を飲めない奴は社会人失格だ」「アレルギーなんて甘えだ、慣れれば飲めるはずだから、とにかく吐くまで飲め」という、滅茶苦茶な強要をされたのです。体を悪くしてまで飲む義理はないと思いましたので、その日はなんとか断り続け、事なきを得ました。

部長はこの件が面白くなかったのでしょう。次の日の業務中から、些細なことで怒鳴りつける、異動したばかりで覚えている最中の仕事の進行にケチをつける、自分の仕事をこちらに丸投げして、終わらなければ毎日終電近くまでのサービス残業強要、業務に必要な経費を受理せず自腹で支払わせる、等の精神的にも体力的にも疲弊してしまう攻撃を、繰り返し繰り返し仕掛けてきました。

それでも私は、仕事さえ完璧にこなせるようになれば、いつか部長も認めてくれるだろう、認めてくれさえすれば、きっとあのひどい仕打ちはなくなるはずだと信じ、ひたすら仕事に励みました。

自ら進んで残業もしましたし、休憩時間や休み、寝る間も惜しみ他人の分まで仕事を引き受け頑張りました。

しかし、そんな私の思いも行動も通じることはなく、部長のパワハラはエスカレートしていきました。

毎日何度もクビや減給をちらつかせられ、業務には関係のないプライベートな部分にまで干渉、口出し、悪口を言われるようになり、限界を感じました。

有給をまとめて申請し、有無を言わさず退職届を提出して現在に至ります。

事あるごとに、退職をほのめかされる

パワハラ

以前私が勤めていた会社のことです。

その会社は、地域では名の知れた会社の子会社でした。

同族会社で、現社長の親が築きあげたグループ会社です。

私が勤める会社は、社長の二男が任されている子会社でした。

数年前に、他社から転職してきた息子は、下積みなしで役員職です。

それでもまだ、最初の頃は右も左もわからないので、社歴の長い部長たちが会社を上手に回していたので、よかったです。

しかし5年経ち、副社長に就任すると息子は突然威張り始めました。

まず、手始めに自分に意見をする部長を解雇したのです。

理由は定年退職ですが、実際は会社の方針に逆らったとのことでした。

そしてこのことを機に、息子は次々と自分の気に入らない社員を解雇や自主退職に追い込むようになりました。

「意見を言え」と事あるごとに息子は言いますが、息子と違う意見を言ってはいけません。

息子が喜びそうなことを言わなくてはいけないのです。

当時、私は総務部に所属していました。

給料関係を担当していたので、従業員の手当や待遇に対する不満や疑問の受け口になっていました。

私の上司は、すでに解雇されていました。

私の立場では対応に困り、上司がいないので誰に相談すべきかを尋ねると、息子は自分が引き受けるとその時は寛大な態度を見せたのです。

ところが、いざ相談すると面倒に感じたのか、怒ることが増えました。

「君とは、レベルが違うんだよ」と、総務部レベルの問題を自分に話すなと、ご立腹です。

そして口癖は、「嫌なら辞めろ」でした。

よく聞く言葉でしょうが、この会社では本当に辞めさせられます。

そして私も辞めました。

保育園勤務での経営者からのパワハラ

パワハラ

短大を卒業して、20歳で始めて就職したところが、民間の保育園でした。

念願の保育士になり、これからやっとスタート。というところで

始めから園長(経営者)に目をつけられパワハラされました。

年配の保育士に混じって、私は1年目で単独で、3歳児担任を任されました。

その中には障がい児も1人混ざっていて、3歳児20人と脳性麻痺児あわせて21人をいきなりの新卒が担当するなんてあり得ないはずなのにわざとそうさせられているのが、よくわかりました。

そして他に、電気をつけるな、というパワハラです。

「電気代がもったいない!このくらいで電気をつけるな!」と

雨の日も曇りも日も、室内保育の時には真っ暗の保育室での保育を要求されました。

子どもをもっと静かに遊ばせろと、無理なことを言って来る日もありました。

夏はエアコンなどもちろんありません。

冬は暖房は朝10時まで。それ以降は、大元のボイラーを切られてしまうので、

他の保育室も一斉に暖房が切れてしまいます。

そして、しょっちゅう保育中に職員室に呼び出され、

新人保育士の保育はぜんぜんなっていない、と罵倒されます。

保育室に帰ってからもあとをついてきて、見張られ、監視状態の中で保育を余儀なくされます。

あの時の発言がこうだったとか、もっと一人一人の子どもを見なさいとか

言ってくるのです。

障がい児が脳性麻痺児童だったので、つきっきりで特別保育士をつけないといけないはずなのに、

補助金もでているはずなのに、つけてくれませんでした。

昼寝の時間になると、保育士もやっと一息いれることができ、

少し横になったりもできるのですが、

私だけ呼び出され、雑用をさせられました。

わかりやすいパワハラでしたが、周囲の年配保育士も見てみぬふりで誰も手助けしてはくれませんでした。園長は老人の男ですが、保育士の女の集団もとても恐ろしいものです。

集団に無視されるということが、一番のパワハラだと思いました。

結局、鬱になって、退職しましが

そのときは、パワハラなどという言葉もなく、鬱になって「訴える」ことができるなど知らない時代でしたので、泣き寝入りしてやめざるおえませんでした。